愚直なまでに何かを。
だから、愚直なまでに何かをやっていくしかない。
愚直なまでにやっていく人には、大運天中殺(宿命大殺界)など、どこ吹く風だろう。
ちょっとそんな感じが、わかりかけてきた。
そんな生き方も良かったなと、わかりかけてきた。
周りも人も、そんなにいちいち気にしていないし♪
いちいちわかってもらう必要もないよ♪
それはね、口下手になったのよぅ。
大テン入りのあの日から。
愚直に生きてみよう。
\(__)
「陽転」受け身で生きる、とは?を考えてみる。
ちょっと前の記事で、
「陽転」しているといわれる有名人の方々って、伝わってこないだけでいろいろ乗り越えていらっしゃるんだろうと書きました。
もう一つ思う事があるので、書かせていただきます。
私が思うに、その「陽転現象」の中で、ご本人的には理不尽だったりする事もいっぱいあるんじゃないかという予想です。
たとえば、役者さんだったら、
「あー、この映画出たくないなぁ、この役好きじゃない」
→結果、役が注目され大ヒット。以降、そのイメージで見られる。
歌手さんだったら、
「この曲違うなぁ、私的にはもっと..」
→結果、曲大ヒットする。以降、そのキャラで何曲も続く。
みたいな事です。
起業家さんだったら、
「こんな商品やサービスは考えてなかったけど売ってみるか」
→それが予想外に売れて、その専門会社として有名に。
ここで、フリーの立場とか意見が通せる立場でいて、もうこの路線は嫌だぁとなってしまうと、じつは「陽転」が修了。
アイドルさんとか、事務所縛りがきついとか、周りの期待感や応援や意見で継続していく方が陽転は長続きすると思います。
そして、こういうのを「一度陽転したら受け身で生きる」とかいうんだと思います。
たぶんそれは結構大変で、
すごく高い理想を秘めて全ては通過点だったり、
強烈に誰かの為の行為であったり、
義や感謝で生きていたり、
逆に、
ハングリーさから生まれた強い欲
こういう理由がどれかあった方が陽転は何となく長続きしやすいかと思います。
それはそれで大変だと思うので、大運天中殺(宿命大殺界)
が終わりかけて成績が下がってきたとか、人気が陰ってきたらしいなどをみても、そっとしてあげたら?としか思わない。
過去の実績にこだわらず、自分らしい形でこれからもいきいき活動してほしいと思うのです。
明るさが出てきた♪落ち着きはなく♪
私はここらでまた引っ越しをしました。
《この時は普通にH木さんの「大殺界」は知っていたので、それがようやく明けたなぁと思いました。(明けてから引っ越しをしました)》
いろんなものがなくなっちゃって、お金も全然ない生活。
いまこうしていろいろ振り返っている私なのですが、当時は上がるか↑下がるか↓
どちらかのみの精神状態だったと思います。
振り返ったり、反省したりもなかったようです。
その頃、久しぶりに精神世界の関係の旧友にも会いました。そして、言われました。
「雰囲気が前と変わったね。もう少し落ち着いたらどうなのかな」
と(笑)
そして、お誘いいただき、また神社参拝や、ボランティアに参加するようになりました。
本当に、これはありがたい事で良かったと思います。
年運が良くなってからまた参加するようになったので、魂にとって良いことに参加できたりするのも運の一つなんだという事を思います。
ある時期がこないとそういう事につながる事すらできないって事かもしれません。
そして、この年から数年間は、おおざっぱなんですがいわゆる年運の意味する運勢に大体沿って生きていったようです。
私の感覚では、大運天中殺(宿命大殺界)
って、大運(10年運)の意味する要素が相当強まる時期のように思います。
それが特に、5年前・入り・次の大運の入り・終盤の3箇所で独特の渦巻き的な動きをして、
その間の年の天中殺/大殺界、その時はまたウズが反転するような逆の要素が出るんじゃないかなぁ。
洗濯機みたい・・
あ、運命が洗濯機に放り込まれるのかな。
そのスキ間の時期は割りと年運の通りだったかもしれないですね。(短い年月ですけど)
このような時期に、継続して生あたたかく付き合ってくれる家族や友人がもしいたら、じつに奇特な方々ではないでしょうか・・(笑)
大運天中殺(宿命大殺界)の中の天中殺/大殺界の時期。
前回の記事からはじまった、大運天中殺(宿命大殺界)の中の《天中殺(大殺界)》ですが、その1回目は、
(→私の場合、2回もあった為)
なかなかしんどい時期で、いろいろな事が起きたのですが、前回書いたのはまだ序盤だった気がします。
むしろ、実際後まで影響したのが、次のような事でした。
それは、
◎借金を作ってしまったこと
◎(本当はあまり合わない性質と思われる)異性との出逢いが増えたこと
です。
これらは、私の前半10年の星が火竹星(偏印/龍高星)で、内容がその陰転現象そのものだったと思います。
星が違えば起きる事も違いますので、ご参考までに。(私の場合元々の運命式でこの星との相性が良くないためで、相性が良い方もいますのでご了解下さい)m(__)m
借金を作ってしまった流れですが、離婚をしたので仕事を見つけてしっかり働かなければと思った私は、前述の夢を棚上げして、仕事を探しました。
ところが、どんな仕事をしても身体が続かなかったり、敏感になって環境、職場の人達に耐えられなくなったりして、転々としていました。
そこで、借金が徐々に増えていったんです。
妙にテンションが、高まる時期があって(笑)
したい事や欲しいものが出てきて、化粧品なんかもたまにすごくいいのを使っていました。
いま思うとその頃顔色も悪かったので、気になったのかもしれない。
これを返すのに、ずいぶん後までかかりました。
恋愛に関しては、離婚したばかりなのに出会いが多く、よく考えないうちにある男性と付き合いました。
これまで縁のなかったタイプで、面白いかなという気持ちもあったんだと思います。
彼は私と結婚するつもりがあったようでした。
ありがたい事です。
この彼と再婚する可能性もあったと思います。
私は、この人と結婚するのはどうも違うとどうしても思ってしまって、そうしませんでした。
星の現象通りに年下で、性格は強引さとか粗野なところがあったけれど、悪い人ではなかった。
楽しい時もあったから。
私に借金がある事も知っていました。
ここで結婚してしまう場合はあったのだろうという感じがします。
2年目そして3年目~
大運天中殺(宿命大殺界)をご存じの方には、この時期の結婚が可か不可かを気にされる方が多いんじゃないかと思います。
昨日の記事で私は、宿命中の出逢いがことごとく終わっていくみたいな、やけにすがすがしいぜーみたいに書いてみたんですが(笑)
この時期に結婚した場合は、最後には別れなきゃいけなくなるんでしょうか?
この時期に生まれた子供とは離ればなれになるんでしょうか?
って事を、昨日雪の中を歩きながらいろいろ考えてみて、生まれた考察(私見です)をそのうち書いてみたいと思います。
何回かに分けていろいろ書いてみたいです。
さて、ここから続きになります。
破竹のいきおい(火竹の?)で、
あるプロの道を目指した私は、コンテストで入賞し、ある会社と契約しました。
会社とは、ちょうど芸能プロダクションみたいな感じで、「ちょっとは仕事をさがしてあげるけど、自分の実力次第だよ!」という会社です。
学校の方は無事修了しました。
実はこのころから自分は、年の天中殺、大殺界が迫っていました。(2~3年)
宿命大殺界中の年の天中殺(大殺界)って、影響力あるなしでいろんな意見あるようなんですが、私にとってやっぱりこれは一番きつかったんですよ。
憧れの人に近づくどころか、自分にやれるような仕事のチャンスもなくて、ちょっと元気もなく。
そんな時期に身内がバタバタと倒れ、亡くなったんですよね。
元夫ともうまくいかなくなって離婚する事になりました。
これが、自分の一回目の年の天中殺大殺界でした。
激ヤセしてしまい、ふらふらでした。
これ、すごい駆け足で、語ってます(笑)
なぜなら、あり得ない事がありすぎて、さらにあまり読んでくださる方を脅かしたくなくて、すごい駆け足になってしまいます。
事務所はそんなに面倒見良くなくて(笑)
成果を挙げられない私は契約修了~
いや、ここで、こういう事をダンプカーのように乗り越えてさらに陽転する人、それが真の陽転ですよね。
それはよわっちい私からすると難しい事でしたね。
きっと乗り越えていらっしゃるんだと思います。
世の中で陽転といって有名な方って。
伝わってこないだけなんだと私は思ってるんですよ。
18年目、立春です。
昨日は最初の「陽転」について書き、ここからはこの私なりの最初の「陽転」があまり長続きしなかった話になっていきます。
なんかの参考にしてもらえたら嬉しいんですが、内容的にちょっとヘビー(笑)
今日はもう立春だし、綺麗な雪も降ってきました。
最近起きた話を書こうと思いました。
さてと、言っても昨年の夏の終わりの事です。
あるイベントに行った時の事。
そこではたくさんの知人も来ているはずでした。
主にこの18年間の後半に出会った方たちが結構来ていそうなイベントでした。
ここのところしばらく顔が出せない感じも勝手にあったのかもしれません。
あー元気そうだなって見て欲しくて、服もいろいろ考えて決めたり。
ちょっとドキドキしながら参加しました。
それで、すごく楽しく参加できたんですけど。
なぜか、
「誰にも」会いませんでした。
あの人も、この人も来てるはずの人に誰1人会わなかったんですよ。
正確には、顔見知りくらいの方1人とは挨拶だけあったのですけどね。
おっかしいなぁ!?
心地よい夜風に吹かれて、帰りみち。
不思議だな、誰にも会えなかったな、
なんだろ、これ。
と思ったら無性におかしくて、フフフと笑いがこみあげてきました。
立ち寄ったコーヒー屋の中で、
あ、これ、いままでのご縁が終わって来てるか。
じわーっというカタルシス。
笑いたくなり、ちょっと泣きたくもある感じで。
かなり関わり合った方々なんです。
会場は結構広かったんですが、同じ会場にいても会わないんですね。
改めて、出会う時の事って不思議ですよね。
大運天中殺(宿命大殺界)で出会う人達は、本来出会う人達じゃないんだってどなたかが書いていたんです。
その意味は?まだ本当は、18年目のこの私には全貌はわからないんだと思いました。
でもこれから大運天中殺(宿命大殺界)が終わっていくようでしたら、こういう事がもしかしてあるかもしれないです、という情報なんです。
もし、おいー寂しいよーなんだよこれーぼっちかよーってなったらブルーになっちゃうかと思うから、よくわかってないけど(笑)書かせていただきました。
・・清らかに清らかに雪が降っています。
このブログ見てくださる方に、すがすがしい一年、たくさんのよろこびが来ますように♪
お祈りしています。
1年前~始めの1年
ちょうど大運天中殺(宿命大殺界)入りの1年前に、
私はあるプロを目指して、専門学校の夜間部に入りました。
その理由の1つとして、その学校の卒業生に自分の惚れたアーティストのスタッフで活躍中の人がいたんです。
プロになれるのかなぁ…
とかいう疑心もまったくなく(笑)
間違いないな、オイラやれる!
という確信に満ちて、走り出してました。
で、まずクラスでトップになろうと思い、頑張りました。
主婦なので家事はしてるんですが、なにか閃いたら中断です。
夜中になにか閃いたら飛び起きます。
クラスでトップになり、学内コンペにも入賞していきました。
クラスでは人と仲良くなると自分がゆるむと思い、お茶とか飲み会もスルーしました。
こんな風に書くと、私はもともとがんばり屋と思われるかもしれませんね。
でも、そんな事はなく。
もともと勝負ごとなんかも嫌いで、別に人に負けてもいいし、あまり気にしない方だったんですよ。
それに古い話で書いたように、以前にも夢を追っていたはずですが、まぁよく考えたら、この時ほどは真剣にやっていなかったように思います。
1年がたち、いよいよ大運天中殺(宿命大殺界)に入った頃。
その時期に何気なくできたアイディアが元で、その翌年に一般公募のコンテストに応募、そこでも賞に入ることとなりました。
で、大変嬉しかったんですけど、
肝心の大好きな人はまだまだ雲の上の人だったんですよね。
目的がそっちにあるから。
プロになっても彼と付き合えるかわからないからーー
(←おや、付き合うつもりになっているぞ)
全てが、通過点。
学校でも注目されてたと思うんですが、気にしないようにしてました。また、やっかみとかたまに言われるようになったりし、そういうのも慣れてないから怖かったんでしょう。
どんな人に思われてたか。
家庭でも、あまりいい空気は流れてなかったんですが、たぶん。
自分ではなにも気づきませんでした。
さてさて、「陽転」をさせたいなら、入る5年前から金銭的にうんと下がってると良い・家庭も恵まれず・孤独であると良いっていう条件があるみたいですね。
この時期、専門学校に行った事は、この条件を満たしてない事を象徴してるかもなぁと思います。
それは、ある程度孤独ではあったと思うけれど、専門学校に行くお金が用意できたんですね、あの頃。子供もいなくて、共働きしていましたので。
もしお金が用意できなくて、1人で、同じ位がむしゃらに努力できるなら、学校なんて行ってられるかぁ~って言って、別のより積極的な方法を思い付いたかもしれない。
と、想像してます。
ちなみに、お金が欲しい、お金持ちになりたいから頑張るってところはありませんでした。
これもあったら良かったかもしれない。
まず学校へと考えた事も自分の器相応なので、後悔はしていません。
それと、自分は孤独なつもりでも支えてくれた方たちがいたんです。