lotus*tea

18年目につづるブログ

1年前~始めの1年

ちょうど大運天中殺(宿命大殺界)入りの1年前に、
私はあるプロを目指して、専門学校の夜間部に入りました。

その理由の1つとして、その学校の卒業生に自分の惚れたアーティストのスタッフで活躍中の人がいたんです。

プロになれるのかなぁ…
とかいう疑心もまったくなく(笑)
間違いないな、オイラやれる!

という確信に満ちて、走り出してました。

で、まずクラスでトップになろうと思い、頑張りました。

主婦なので家事はしてるんですが、なにか閃いたら中断です。
夜中になにか閃いたら飛び起きます。

クラスでトップになり、学内コンペにも入賞していきました。

クラスでは人と仲良くなると自分がゆるむと思い、お茶とか飲み会もスルーしました。

こんな風に書くと、私はもともとがんばり屋と思われるかもしれませんね。

でも、そんな事はなく。
もともと勝負ごとなんかも嫌いで、別に人に負けてもいいし、あまり気にしない方だったんですよ。

それに古い話で書いたように、以前にも夢を追っていたはずですが、まぁよく考えたら、この時ほどは真剣にやっていなかったように思います。


1年がたち、いよいよ大運天中殺(宿命大殺界)に入った頃。
その時期に何気なくできたアイディアが元で、その翌年に一般公募のコンテストに応募、そこでも賞に入ることとなりました。

で、大変嬉しかったんですけど、

肝心の大好きな人はまだまだ雲の上の人だったんですよね。

目的がそっちにあるから。

プロになっても彼と付き合えるかわからないからーー
(←おや、付き合うつもりになっているぞ)

全てが、通過点。


学校でも注目されてたと思うんですが、気にしないようにしてました。また、やっかみとかたまに言われるようになったりし、そういうのも慣れてないから怖かったんでしょう。

どんな人に思われてたか。

家庭でも、あまりいい空気は流れてなかったんですが、たぶん。

自分ではなにも気づきませんでした。


さてさて、「陽転」をさせたいなら、入る5年前から金銭的にうんと下がってると良い・家庭も恵まれず・孤独であると良いっていう条件があるみたいですね。

この時期、専門学校に行った事は、この条件を満たしてない事を象徴してるかもなぁと思います。


それは、ある程度孤独ではあったと思うけれど、専門学校に行くお金が用意できたんですね、あの頃。子供もいなくて、共働きしていましたので。


もしお金が用意できなくて、1人で、同じ位がむしゃらに努力できるなら、学校なんて行ってられるかぁ~って言って、別のより積極的な方法を思い付いたかもしれない。

と、想像してます。

ちなみに、お金が欲しい、お金持ちになりたいから頑張るってところはありませんでした。


これもあったら良かったかもしれない。

まず学校へと考えた事も自分の器相応なので、後悔はしていません。
それと、自分は孤独なつもりでも支えてくれた方たちがいたんです。