1年前~始めの1年
ちょうど大運天中殺(宿命大殺界)入りの1年前に、
私はあるプロを目指して、専門学校の夜間部に入りました。
その理由の1つとして、その学校の卒業生に自分の惚れたアーティストのスタッフで活躍中の人がいたんです。
プロになれるのかなぁ…
とかいう疑心もまったくなく(笑)
間違いないな、オイラやれる!
という確信に満ちて、走り出してました。
で、まずクラスでトップになろうと思い、頑張りました。
主婦なので家事はしてるんですが、なにか閃いたら中断です。
夜中になにか閃いたら飛び起きます。
クラスでトップになり、学内コンペにも入賞していきました。
クラスでは人と仲良くなると自分がゆるむと思い、お茶とか飲み会もスルーしました。
こんな風に書くと、私はもともとがんばり屋と思われるかもしれませんね。
でも、そんな事はなく。
もともと勝負ごとなんかも嫌いで、別に人に負けてもいいし、あまり気にしない方だったんですよ。
それに古い話で書いたように、以前にも夢を追っていたはずですが、まぁよく考えたら、この時ほどは真剣にやっていなかったように思います。
1年がたち、いよいよ大運天中殺(宿命大殺界)に入った頃。
その時期に何気なくできたアイディアが元で、その翌年に一般公募のコンテストに応募、そこでも賞に入ることとなりました。
で、大変嬉しかったんですけど、
肝心の大好きな人はまだまだ雲の上の人だったんですよね。
目的がそっちにあるから。
プロになっても彼と付き合えるかわからないからーー
(←おや、付き合うつもりになっているぞ)
全てが、通過点。
学校でも注目されてたと思うんですが、気にしないようにしてました。また、やっかみとかたまに言われるようになったりし、そういうのも慣れてないから怖かったんでしょう。
どんな人に思われてたか。
家庭でも、あまりいい空気は流れてなかったんですが、たぶん。
自分ではなにも気づきませんでした。
さてさて、「陽転」をさせたいなら、入る5年前から金銭的にうんと下がってると良い・家庭も恵まれず・孤独であると良いっていう条件があるみたいですね。
この時期、専門学校に行った事は、この条件を満たしてない事を象徴してるかもなぁと思います。
それは、ある程度孤独ではあったと思うけれど、専門学校に行くお金が用意できたんですね、あの頃。子供もいなくて、共働きしていましたので。
もしお金が用意できなくて、1人で、同じ位がむしゃらに努力できるなら、学校なんて行ってられるかぁ~って言って、別のより積極的な方法を思い付いたかもしれない。
と、想像してます。
ちなみに、お金が欲しい、お金持ちになりたいから頑張るってところはありませんでした。
これもあったら良かったかもしれない。
まず学校へと考えた事も自分の器相応なので、後悔はしていません。
それと、自分は孤独なつもりでも支えてくれた方たちがいたんです。